考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

売り物の花と舌の上の宇宙人

 僕が思うに、選択肢の多さは人生にはむしろマイナスに働く。要らない可能性の芽を摘んでいって、育てたい可能性の芽にだけたっぷり栄養をやる。大きくて綺麗な花を咲かす為には自然を否定して、人工性を寛容しなけりゃならない。目の前に在るもの、目に映るものは嘘ではないけれど、存在の後ろには嘘が隠れている。隠れているものは暴かれなければ確率のままでいられる。売り物の花を咲かす為にはひとを騙すことを寛容しなけりゃならないらしい。親も友達も騙さなきゃならないから、売り物の花は孤独なのだと。野花とどちらが幸せかという問いは僕には無意味に思われる。だって僕たちは花じゃないから。でも僕たちは人間だから、類推でものを考える。蟻や天体を観察して世の中のことを知る。でも僕は別に、世の中の全てを知りたい訳じゃない。地球が真っ平らでもいいし、宇宙が沢山あったっていいし、神は居ても居なくてもいい。僕にとって重要なことは、どうやって満足するかという問題だけだ。人生を満足する生き方、今日を満足する考え方、今を満足する過ごし方。それが重要なことなんだ。万物の法則とか世界の裏側なんかにはサラサラ興味がない。オカルト趣味のひとも中には居たって構わないけど。

 僕は今食べている魚のメインディッシュがどうやって調理されたのか、良く味わって考察している。レモン、バター、白ワイン、大蒜、胡椒の実、エシャロットに……マッシュルームか。洗練された食材のバランスに感嘆することが僕にとっては人生の楽しみだ。小難しいことというのは、単に小難しさの為にだけあるんじゃないかと僕は思っている。それはそういう娯楽だから。主義の数だけ趣味があると僕は考えている。食材と調味料の複雑さが特定のバランスに調和した時に僕たちは美味を味わえる。きっと小難しいことにも洗練された小難しさのバランスがあるんだろう、と僕は類推する。でも僕にとっては舌の上が宇宙だ。宇宙の内側も外側も、美味の為に奉仕する従業員なのだ。問題は実際に従業しなけりゃ美味い飯にはありつけないってことだな。だから僕の人生の生き方は美味の問題を北極星に据えている。航海にはどうしても余分なものがいくらかはあるけれど、基本的には舌の上の問題を考えればいいのだから、近頃見かける病んだ若者よりは幸せに生きているんじゃないかと思う。あの病んだ若者たちが何で病んでいるのか僕は知らないけれど、同時に知りたいとも思わない。正体のわからない不幸を伝染されちゃたまらないから。これは病気の類推。僕は世の中を平らな地球のように考えている。地球は平らじゃないんだってひとは言うけれど、考えてみたら平らでもそうじゃなくても僕は特に困らないからどっちでも良い。

 先日一緒にイタリアンバルへ行った友人が、”売り物の花”の生き方について熱弁をしていた。「売り物の花を咲かす為にはひとを騙すことを寛容しなけりゃならない」というのは彼の言葉だ。「親も友達も騙さなきゃならないから売り物の花は孤独なんだ」と、何でか哀しそうな言い方をする。「そうすると僕も君に騙されているのかい?」と尋ねてみた。「ああそうだよ、俺はお前を騙している」と彼は答えた。なるほど、可哀想なやつだ。と僕は思った。何でそんな不都合な生き方を選んでいるのか僕には分からないけれど、同時に分かりたいとも思わない。正体のわからない不都合を伝染されちゃたまらないから。僕はこういう時、「君には君の宇宙があるんだね」と言って話を閉じるのを常としている。隣の宇宙の事情に首を突っ込んでなんかいられないからだ。その日の帰り道に僕は考えてみた。売り物の花は幸福なのだろうか?よくよく思い返してみれば、周りの友人も年々彼と似たような生き方をするようになってきたような気がしないでもない。野花のような生き方をしないのは何故なのだろう?僕は僕の生き方にそれなりに満足している。だから今の生き方ではなかった可能性については検討しなくていいと思っている。人生には余分なものもいくらかあるけど、エビフライにだって尻尾はある。

 

 僕には料理人の彼女がいる。周りの友人と比較、類推すると僕は女の子にモテるらしい。けれども、僕の関心事はその女の子の手料理が美味しいかそうでないかということだけだ。だから当然、彼女は今まで出会った子の中で一番手料理が美味しい。僕と彼女の間ではその条件がかえって絆になっていると僕は思っている。けれども、会社の先輩とそんな話をすると「フェミニズムの風上にも置けない」と言われる。そういう時、何だって他の誰かのイズムを押し付けられなきゃならないのだろうと僕は思う。けれどもそれを言ってイズムをぶつけ合うことは僕にとっては厄介な事態だ。だから僕は黙っている。黙っていると先輩はひたすら喋り続ける。僕の方ではフェミニストの言っていることはよく分からない。喋り終えると先輩は満足する。先輩のやり方も人生を満足させる生き方のひとつなんだなと、僕は発見をする。先輩の生き方が幸せなのか僕には分からないけれど、分かりたいとも思わない。正体のわからないイズムを伝染されちゃたまらないから。「先輩には先輩の宇宙があるんですね」と言って僕は話を閉じる。先輩は僕の言葉には露ほども関心を払わない。

 仕事から帰ると、ほとんど彼女とは食べ物の話と仕事の話しかしない。僕の関心はそれだけだし、彼女の人生もそれだけなのだからそれでいいと僕は思っている。最近彼女はやたらと数年後の未来の話をする。彼女は未来のことを思い悩んでいるらしい。僕は未来なんて誰にも分からないんだし気にしなくて大丈夫だよ、と彼女を慰める。彼女は生返事をするだけで、上の空のままでいる。彼女はいま、未来について考えているんだなと僕は可哀そうに思って、僕も倣って未来について考える。でも未来のテーブルに並べられた料理を頬張ったところで味がしないから僕は考えるのをやめた。重要なのは目の前のテーブルであって、不在のテーブルではないはずだ。まだ目の前のテーブルを舐めてみる方が有意義に思われる。僕は「テーブルについて考えるのはやめよう」と彼女に伝えた。彼女は一瞬不思議な顔をしたが、すぐに気を取り直して「何か作ろうか」と言って台所に立った。僕と彼女を繋ぐ絆は舌だけだ。彼女がまな板に向かう後ろ姿を、僕は愛している。

 

 金曜日の夜、件の売り物の花に誘われて、彼の職場近くのアーケード街へ出向いた。彼はライブハウスで働いている。客引きを手で払って、彼の行きつけの暖簾をくぐった。大衆酒場の大雑把な味付けも、あれはあれで僕は好きだ。僕の方はゆっくり味わって酒を飲むけれど、彼の方ではペースが早い。酔いが回ってきた頃合いになると、彼は「壺中天の話を知っているか」と話題を振った。僕は知らないと答えた。

「中国の薬売りの老人がな、店仕舞いをすると自分の店の壺の中に帰っていくのを費長房という男が見てたんだ。明くる日、費長房は薬売りの老人をとっ捕まえて俺も壺に入れてくれって頼み込んだ。そんで、いざ費長房が壺の中に入ってみたら、あら不思議。壺の中には建物が立ち並ぶ別天地があって費長房はご馳走をたらふく食べたんだとさ。お前にもお前の宇宙があるんだろう?どんな宇宙なのか聞かせてくれよ」

 彼の質問の意図は良く分からなかったが、僕は先日の彼に倣って熱弁をした。

「僕の宇宙は壺の中にはないけれど、確かに僕には僕の宇宙があると信じている。そして僕はこの宇宙でたったひとりだ。僕だけじゃない。みんなそれぞれの宇宙でたったひとりなんだから、僕がこの宇宙でひとりであったとしても、決してそれは寂しいことじゃない。君は売り物の花は孤独だと言うけれど、売られた花を誰かが買って行くのなら売り買いの絆はあるんじゃないかと僕は思う。それから、親と友達を騙していると言うけれど、信頼があるから騙せるんであって、そうしたら絆はあるだろう。大人になっても臍の緒で繋がってる訳には行かないさ。薬売りには薬売りの素敵な宇宙があるんだろうけれど、僕は僕の宇宙に住む宇宙人だから、よその宇宙法則が当てはまる訳がないんだ。だから僕は金を稼いで美味いものをたらふく食べる」

 僕が話し終えると売り物の花はえらく満足そうだった。「なるほど、お前は宇宙人だよ」と鼻を鳴らして笑った。それから僕たちは美味い料理屋がどこにあるとか、巷じゃ何々が流行っているがあれは食べ歩くには油っこ過ぎて敵わないといった実りのある話をした。