考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

眼窩底撈魚

「あ、死んだ魚が!俺みたいな目をしている!」と叫ぶ声。工場の壁の有刺鉄線の柵を乗り出す男の背中が、その日の作業中ずっと、目に焼き付いていた。帰りに遠回りをして壁の向こうを確かめたが、そこには死んだ魚はおろか、池も川も何もなかった。男の目は何色をしていたのだろうかということだけが気に掛かった。

 

 朝に目を覚まし、ほどなくして、酩酊のまどろみが冷めると、「あゝ生きているな」という考えが湧いてくる。感傷はない。俺の感傷はいつも仮面を被っている。そのうえ背中の後ろにいる。俺の感傷が鈍感なのは、幼い頃に心の閉じ込めを繰り返していたからなのだ。喜んでいるのか、悲しんでいるのか、分からないことが多い。いずれにしても反射的に、セオリー通りに、仮面を選んで被る。そうして日々を過ごす内に、顔と仮面とが混濁し出して、自分というものを忘れた。

 漠然とした退屈と虚無感は常にある。その間を埋めるためにストレスを与え続ける。程よく間が埋まるから勉強は好きだ。理由をひとに聞かれたら尤もらしく嘯くけれど、さして目標はない。情熱というものを持っていた日があるのか、ないのか。それを恐れていた日なら、あったような、記憶。片や、植木には水と陽の光を与えるだけで十分なのだ。枯れようと千切れようと、ものを喋らず、根を張るだけだからあれには悪意がない。俺はあの植木のような謙虚のままでいたい。

 

 新しいセオリーを仄聞したため、書き残す。嘘をついて気に入られることが相手を思いやることになる、のだと。相変わらず俺には人間というのがよく分からない。一種のオープニングなのだろうと、とにかく覚え込む。少なくとも、そのように謙虚であることは、俺にとっては信用に足る正しさなのだった。分かったようなつもりで、ものを語る人々は何を分かったつもりでいるのだろう。そういうことばかりが、胸に引っ掛かるのだけれども。

 自由に踊れる愛が羨ましい。舞踏会の夜では、覚えなき書き置きに従って、愛を差し上げる、どなたでも、お望みとあらば。占いの如く大地に水平に構えた方位磁針は、延々と回っている。旅の頼りもそろそろ壊れたか。それでは文明を捨てて、自然な目でものを見ようか。そうするしかないにせよ。方向、前。地平線上に目が一対。対の目は水平、瞳は丸い。凝視ののち、目を回す。北か南か不明瞭な方角から、眩暈がやってきた。どうして方角が必要か?

 

 ほどなくして、朝一番のオープニング。窓を開けて、今日という日を自然な目で捉える。爽やかな陽の光。なぜならクレープ生地のような雲が直射光を拡散させて、眩しさで頭が痛くないから。小鳥が啼いているのだけが聞こえる。ということは、今日は仕事をしないでいい。間延びした時間は何に使うか、これから考えなければならない。

 このところ日記を書く気も起きない。考えることが減ったか、悩むことが減ったか、幸せに近づいたのか、遠のいたのか、言葉が消えたのか、啞になったか、悪魔がどうして失語するのか、不安は形態か、熱量か。自問を失念すると失語する。悩む所作が無くなったからと言って、不安が量を失うのではないだろう。殻を脱いだ気体が、むしろ捉え所なく足元に沈殿していくのである。どうでも良いことを悩み、取るに足らぬ擦過傷を言葉に置き換えられるうちは花……あ、花が咲いている……どこに?

……ともかく、ひとはそれに飽きる。泣けどぼやけど不安は消えないのに、それを語る仕草が同じままでは不安にまで飽きてしまう。詩が書けなくなるという、そんなに恐ろしいことはない。詩を書かなかったら、他に何を書けばいいというのか。名前や記号を? 俺の本当のものにまで、得意の色眼鏡で冷やかせば、大事な土地をひとつずつ売り払うことになる。ひとの心の中の土地、そんな下らない土地を買う者がいるとすれば、それは間違いなく悪魔だが、いまでは悪魔の方が繁栄している世の中。テレビは悪魔の道具だ。そんなのをありがたがって家に招き入れてはいけない。12チャンネル昼も夜も悪魔教育。頭の中で巨きなペンキ缶をひっくり返されて。

 

 夜。ストレスからの解放。繰り返す脱衣と着衣。他者は衣服だ。本だ、乗り物だ。ところで下らない流行り物の一張羅よ。虚飾に意味があるのか? 意味。意味ということを考え出すと、世界平和とか、世界遺産とか、そんな下らないことが……全部が下らないのは、俺の脳が壊れているからだ。理想のための修練の負荷に、どこそこの螺子が折れて。

 記憶を井戸の底に閉じ込めて、ポケットにその鍵を、まるで石ころが入っているような異物感のままでさえ、生活は進行するのである。ところで、その鍵は何を閉じ込めたのだったか? 朝、目が覚める度に痛みがする、体のどこかの傷。見えない場所を擦りむいて。寝ている間は世界のすべてを忘れられるというのに、陽が登れば、悪魔のベルが鳴り響き、人間に擬態した悪魔は号令に合わせてタンゴを踊る。朝からご苦労な奴らだ。

 

 いじめられっ子の嗜虐誘惑、vulnerabillityを持つ弱者男性にソフトな暴力を加える井戸端の醜態に不快感を禁じ得ない。曲がりなりにも学究の徒であるならば露悪を自省できないものかと、痰を吐いた。痰、なんてものを。水清ければ魚棲まずとは言うが、溝に生まれて溝に死ぬのがお望みか。お望みならば、存分に穢そうとも。上流から無造作に、美以外のすべてを投げ入れて。

 靴のもう片っぽは、弱者に寄り添いたいと言っている。できる限り、為になる限り、誰も死なない限りで。限られた中で、それだけれど自分の命を、一つ分の命を守るのも簡単ではない、ましてや。ええ、苦悩を知らないお前を軽蔑せざるを得ないのです。それさえも心苦しく。欲望する悪魔のお前を。誰かを傷つけることで溜飲を下げるお前を赦すことができず。傷が痛いから死のうなんてことを考えている人がいるのだから。世界から不安の消えた後でさえ、だれもかれも病と共に生きている。だから? 医者でもšamanでもない俺に治療ができるのか? 医者なら治療ができるのか? それを病と認めなければ薬の一錠も処方できないような歴史の途上で。

 

 獣のくせに、自意識なんてものを後生大事にしやがる。下劣な音響。その目と耳を一つずつ穿ってやろうかと思う程。堪えた咆哮が喉が破裂、窒息する、この怒りを語ることはどうすれば、嗚咽なしに……言葉に。 魔鏡の薄暗い奥から、獣の体内から、骨の穴の向こうから、お前が覗いている。俺は、その生々しい眼を見やしない。お前の骨は獣の檻。俺は眼を伏せ、孤立無縁のエゴイスムを隠す。お仕着せの鋳型が俺の遠吠えを縛り上げ後、チェストの何番何号に仕舞い込む。獣を殺す世界の果ての壁のように巨大冷え冷えとした灰色の。ダクトから送り込まれる酸素もまたコイン式。お前の悪意は世界を丸ごと仕舞い込むつもりか? 

 物言いの隙間、呪詛と理性の引っ掻き合う音、混じり合い、騒音になり、増幅する不穏、騒音の中で、微かに耳に入り込む、またしても、呪い……。口を閉じて、喉を鳴らして、獣であることを思い出して、呪いを塗り潰す鳴き声を。番うことだけが本来のものだから。

 

 お前が死んだらその目が欲しい。ホルマリンに漬けて、いつでも魂を確かめられるように。記憶は脳に刻み付けられた傷。幾度もそれを思い出し、幾度もそれを忘れようと必死になる。忘れるための随意筋が付属していないのに、それが可能であるかのように。傷に溺れるのは救いがない。喉の奥に突き刺さったまま抜けない魚の小骨が、いつでも俺に血を流させるためのスイッチになるのだな。お前はそんなことのために死んだ魚に成ったのか?

 傷を癒すのは確かに存在する物質、この手によって触れることを許されたもの。幻想によって立ち現れる霧では決してないのだ。手が僅かに冷気を掠め取るような、不幸な日常ではないのだ。救済の、あるいは呪詛のドラマの配役に身を投じよ。盲目的に、まるで物質と踊るように。