りんごの断面
ある晴れた日曜日。太陽は頭上に高く、時間は恐らく十三時を回ったあたり。二人の男がブランコに座っている。右には白のシャツを着た清潔そうな男。左にはラクダ色のセーターを着た眠たげな男。ブランコは気怠げに揺れる。錆びた鎖は湖畔に浮かんだボートのような音を立てる。右の男は左の男にりんごを差し出す。
「食べるかい?」
左の男が手を差し伸べると、右の男はりんごを、トランプ遊びのように親指でずらす。りんごはいつの間にか肩から腹にかけて袈裟斬りにされている。斜め45度の風変わりなりんご。
「半分こだ」
左の男は斜めに切れたりんごのへたを摘まみ、不思議そうに眺める。彼はありがとう、と言ってりんごを口にすると苦虫を嚙んだような顔をする。右の男は不安げに顔を覗き込む。
「口に合わなかったかな」
「僕が半分貰ったから君のが半分になってしまった」
右の男は豆鉄砲を食らったような顔をして、微笑む。
「僕の幸せと君の幸せで半分以上さ」
「言い方を工夫するだけで世界はハッピーになる」
「ところで僕は君のことが好きだよ」
左の男は脇腹を小突かれたような顔をする。言葉のニュアンスが分からず聞き返そうか迷ったが、迷っている内に間が空くと益々意味深になると思って簡素に答える。
「ありがとう」
「このりんご、なんて名前だと思う?」
「さあ。つがるとか」
右の男は左の男の瞳を、まるで歯医者が患者の奥歯を凝視するように真っ直ぐ見つめる。こんな晴れた昼下りに、こいつは一体どうしんだろうと左の男は思うが、昼下りに特有の眠気が彼を襲い、推理は中断される。
「答えは?」
「僕も知らないんだ。きっと、このりんごの両親とか友達に聞けば分かると思うんだけど」
「確かに、両親とか友達なら何でも知ってるだろうね」
今度は右の男が黙り込む。何か不味いことでも言っただろうかと左の男は思案するが、自分にはひとの気持ちを思いやる技術はないのだと思い出し、またしても推理は中断される。彼は行き交う人々に視線を移す。そうやって行き交う人々を見るのが彼は好きなのだ。
「お隣さんのシングルマザーが風俗嬢と駆け落ちしたんだ」
眠たげな視線が、また右の男に注がれる。
「回覧板に乗ってた?」
「いつどこで出会って、どうして恋に落ちたんだろうって考えるけど、考えたところでひとの気持ちは分からないものだ」
「間の子供はどんな気持ちだったんだろう」
「お母さんが二人に増えて嬉しいんじゃないかな」
お母さんが二人に増えたら嬉しいのだろうか、と左の男は考える。家事育児を分担できて案外いいのかもしれないなと彼は思う。母乳を与える母の乳房と、包丁を握る母の右手。部屋を見回しても父親の姿はない。
「君はナイフでも持ち歩いてるのか?」
「ナイフ?」
「さっきのりんごはいつの間に切ったんだ」
「どのりんご?」
「いま食べたりんごのことじゃないか」
「どこにあるりんご?」
「お腹の中さ」
「さあ、覚えてないな」
本気とも冗談ともつかない物言いだ、と左の男は思う。彼はふっと笑って右の男の左手を指さす。男の指先は三本指でりんごの芯の下半分をつまんでいる。クレーンゲームの爪のようにわざとらしく指が開いて、りんごの芯は地面に落ちる。少し転がって砂を被る。
「りんごなんか食べたかな」
「君の冗談は時々、随分とつまらない」
「見ろよあれ。鳩が喧嘩してる」
左の男は右の男の掴みどころのない態度の真意を探る。彼はひとを思いやる技術がないと自分を評価するが、一方でそれが必要なタイミングもあるのだと思っている。比較的に気が短い彼は疑問を直接言葉にしようとするが、眠気に襲われた彼の頭では、何を言葉にすればいいか分からない。
唐突に彼は、隣の男の頬を引き寄せてキスをする。不意に接触された唇は一瞬驚いて力が入るが、かと言って抵抗の仕草はせず、入り口が開いていく。初めどちらか一方の唇が乾燥していたが、二つの唇の間で潤いが共有され、どちらとも分からなくなる。絡まった唇の少し上の方にある四つの丸窓は、それぞれの住人のタイミングでゆっくりとカーテンが降ろされる。
二人は短い時間、実際には数秒程度の時間だけキスをしていた。左の男には実際の時間の何倍にも感じられた。だからこそ彼はただの数秒で唇を離す。カーテンが捲られて、窓越しに住人同士の眼が合う。気まずさに耐え兼ねたのか、彼は尋ねる。
「……何の味がした?」
右の男の唇の口角が僅かに上がる。笑っているのだろうかと彼は考える。
「君の味」
日曜日の十三時に相応しい柔らかな笑み。風が吹いて、辺りに漂っていた眠気が北西に流された。左の男は急に恥ずかしくなって目を伏せる。砂を被ったりんごの芯にはもう蟻が集まっている。