考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

切断主義者のディスクール

 これは両義的な言葉遣いの実演。語る舌は器用な舌捌きにして果物に刃を入れ、新鮮な断面を我らが眼前に献上する。切り出さなければ果物の内面性は空虚な暗黒──無味な事実である。切断によって産まれるものは美、そしてそれから続くものは腐敗。現代では腐敗を止める様々な創意工夫があれども、切断の手法によって意志の両義性は保つことが可能なのである。不在なる断面そのものの存在として言葉を編み出す手法を行使するならば、それは虚空に存在を産み出す神性と同じである。つまりそれは容易いことだ。実際必須なのはそれが可能であると信じる心臓の賭博──即ち反駁不可能な即死。「愛してる」と言葉にすることが、即ち愛していることを指す訳にはゆかず、衝動か、求愛か、値踏みか、虚言か。将又、台本か、調教か、遺言か──。言葉は言葉であり、言葉は言葉でない、とはつまり、それはそれだ、と。一回性の指示代名詞はコンテクストの限りコンテクストに格納され同一性を保護される。つまりそれが現象の実体であるのだ。対象を指差す空間の断裂、海を割る。時間であれ数学であれ、指された者が前へ出る。人波を起こし、時間ないし数学上に対立とT字路とを舗装する。空間の創造。暴力性とはクリエイティビティのことだ。

 真であるか偽であるか──と、用心深い者は問うだろう。真偽は甲乙と成り得るか、という問い。しかしそれは偽であり、乙ではない。偽を乙と規定するトートロジーに何ら論理的な妥当性がないのは当然である。それはそれであり、決してあれではない。このような事実に我々は絶望する必要があるか、と問う気弱な者があるかもしれない。希望も絶望も、それをそう望みたい者が勝手に望む人間の自由な営みではあるが、自由そのものの広大な黄金郷に必要性ないし何らかの曲者が闖入することは終ぞ有りはしなかった。第一、俺はイスラム教徒ではない。我々は絶望する必要がない。真偽には甲乙を付け難い、とはつまり、天使も悪魔も同質量の虚空である。それを指差した俺は、それに出会ったのだ。それを思うことで、お前はそれを知るのだ。メディウムは対象と対象とを、或いは対象と実存とを伝達する奇跡に他ならない。これを希望だと望みたいのならば、そうすれば良い。厭、俺もまたそれを望んでいる。法治国家に於いて、俺の信仰は俺の自由らしい。

 そして、この言葉は既に過去なのだ。切断された果物と、凶器となった刃物とは見つかったが、然し、切断そのものは見つかったか?果物の方も切られたことに気づいてはいやしない。我々にとっての世界象が些かチープであるからこそ、我々は切断によって果物に退隠する美味を礼賛する──然し、果物に退隠する果物そのものには関心など持たずに。それが愚かさなのかも知れないが、俺にとってすれば、切断そのものこそが美なのである。チープに世界を観察する人間にのみ切断は現前する。或いは当該の刃物を手に持った軍人又は狂人にしか、空想では全くない切断を知ることは出来ないのかも知れないが、とまれ気高くあることだ。単にそれが道具存在としての刃物である以上に、身体の延長であると心構える精神が、時間や空間や数学等のあらゆる狭間なき狭間に、切断面を見出すのだ。そして言葉の狭間なき狭間にも同様に操作を行う。そうすれば、世のあらゆるものを自由自在に一刀両断することができる。一と等質量の一対、科学的には一切等価な変化の末に、既に我々は新たなるものと出会っている。二つの断面、つまり対象の両義性と。

 無から有を産み出すことが不可能な訳は、無が存在しないからである。然しながら、四を五にすることはできる。皆様は既にお解りであろうが、両断するべく対象はもはや何だってよいのだ。果物であることと人間であることとの間に何ら差異は見出せない。あらゆるものを切断し、四を五に、五を六に、六を七に、錬金術によって世界を明るみに引き摺り出すこと、知的快楽と寿命とを等価交換することが一部我々の希望なのだ。我々はその人生を希望によってではなく、絶望によって選択することを課されている。例えば俺が何になれるのだ?人は可能な事よりも不可能な事が多い唯一の生き物だ。できるかできないかと問うてしまえば、一つ分の不能に自己を見出し、己の自尊心を摩耗する。不可能なことについて思い悩む余計な悪癖が、日々の幸福の何割かを食い荒らしている。何になりたいか?それは自分の人生の舵を握る権利を与えられた二世者の小火く痴言に過ぎない。

 人間は弱き生き物だからな、裸にひん剥かれたら一切の勇気を持てないのだ。何か、己を守ってくれる存在の確かさを心の底から求めている。高価な衣服、アクセサリー、靴、鞄、腕時計、ヘアスタイル、身に着けるもののすべて。勿論、恋人も知識も。ほんの少しだけ無神経な、なんてことのない一言が、深々と胸に突き刺さって、出血で頭が朦朧とする。馬鹿め。それなら端から心を閉ざしていればいい。レッテルさえ貼らずに、人型のオブジェを土台信用せず、馬鹿を馬鹿だと見なし、冷笑する。ひとはすぐに裏切るのだ。今は稀有な精神の治癒者であったとして、明日はどちらを向いて何を話しているか分かったものではない。生きている限り、誰にでも誰かを裏切る権利がある。それが恐ろしい。それがこの胸に突き刺さったような痛みの正体か。

 恐らく多くの愛を求めている──厭、多くと言うよりは単にそれらは一度知った常習性の安らぎ。ある場合では、安らぎは別の安らぎを掻き消すものだ──膝枕のように。俺は耳を塞いで、声を拒絶している。関係の起点を潰してしまえば、誰かを恐れる必要はないからだ。それでも過去はどこまでも纏わり付く。せめて思考の城に於いては、その安息を守られたいと願うものの、衛兵を雇う余裕もない。第一、過去を恨むと同時に過去を宝物箱に仕舞い込んでいるような甲斐性無しさ。

 人間は運悪く、忘却の能力を持たされずに生まれてきた。全く以って確率によるものなのか神の差し金なのか分かったものではないが、とにかく困り果てた。些細な事実だけを知らぬ間に消去されて、記憶を節約されている。神は何故人間に忘却の権利を与えなかったのか。何故生に苦しみを与えながらも、死に幸福を飾るのか。神は人間を愛さなかったのではないか。もし神などが居るのなら、てんで悪どい奴じゃないか。少なくとも、親の与える愛に似て不完全な愛だ。つまり完全な愛とは、求める者の中にしか存在しない。耳を塞いで独り言が支配する世界に閉じ籠る、それが生まれてこの方獲得した唯一の権利であって、引き摺り出そうとする奴が犯罪者なのだ。独り言がお似合いな陰気な人間だからな、俺を愛さない人間は何も言うべきじゃない。「ご機嫌よう」の一言さえ。

渚ヘッドショット

 長く続いていた雨が止んだ。頭はまだボヤけているが食事と排泄を繰り返している内に「悪趣味な筒だ」と理解する羽目になった。長く伸びた爪の匂いが気になって、不潔な身体を浜の熱風で消毒することを思いついた。名案だ。生乾きのトレンチコートを掴みサンダルを引っ掛けて家を出た。こういう日に思い切りの良い自分が好きだ。アナウンスの響く密室に一時間も揺られていると「季節も巡るんだな」と生温い脳がめくるめく反芻を開始して、愈愈此の現実感に納得をした。白黒の変な服を着た中年に挟まれて「腐った街から飛び出さなきゃな」と独り言ちた。向かいの女と空中で交わう視線に気不味くなりつつ、電光掲示を盗み見する。この期に及んで降車駅を決め兼ねていた。何処で降りても海に行けるという事実が俺にとっては耐え難い苦痛だった。
「俺は俺の現実を生きている。ところで貴方は貴方の現実を生きているようだが…」俺は濡れた砂の上を重い足取りで蹌踉めくヤドカリに語り掛けている。「貴方の現実は知らないが、そんな重い物棄てたら良いのにな。例えば人間の世界では住宅ローンが死亡保険代わりになるのだぜ。まあ所帯を持ったらの話だな」一方の俺は街々を転々と流浪する人生を望んでいる。土地に縛り付けられた四半世紀から来る羨望だ。所詮他人は時間の交わらない玩具であるから、面白可笑しく遊んで投げて壊して飽きて棄てたら良い。とまれ狂うしかない選択肢が衛星からの電波攻撃によって仕組まれているのだ。雨が降ると頭が可笑しくなるのは分厚い雲が当の電波を遮るからだな。倫理を犯せば暗闇で奴が笑っている……誰…俺だ。俺が何かを言っている。「もう十分だろう?堕ちるとこまで堕ちろよ、お前。幸せなぞ不似合いだぜ。ひと際不幸になれ。そうしたら俺はお前を愛せるんだ」俺は言い返す。「何を言うか。性交よりも楽しいことがなきゃあ困るぜ。人は刺激に慣れる生き物だ。次はお前を殺してやるよ」この街では梅雨が明けると、また梅雨が始まる。雨が降ると頭痛が始まる。雨が降ると何処にも行けない。雨が降ると気が狂う。雨音は気付けば人の姿になり湿っぽい強引な手つきで俺の頭蓋骨が轆轤にされると、部屋にぐちゃぐちゃな赤い体液が飛び散る。俺は膝を抱えて悶えている。「……アレ、海に来た筈じゃないか」

 浜には殆ど裸体の男女がごった返していた。「脱衣が好きなら服なんか捨てればいいのにな」トレンチコートは未だ生乾きで脇の下が気持ち悪かったが、俺は皮膚を包み隠していた。俺は奴らとは違う。服を着るというのは知性の象徴なのだ。「まあいいさ、馬鹿は馬鹿なりに幸せだ。俺の幸せは歪んだ建造物の最上階の眺望さ…」”みんなが幸せならわたしも幸せ”を意味する訓戒をアンプ越しに復唱させられ、深層心理に刷り込まれた哀れな信徒二世が俺なのだった。少なくとも”実践”の為には不幸を減らすかみんなを減らすかしかない。それと不幸を減らすことの不可能さや俺が幸せになる必要性についてはどうか?それはもう諦めた。とは言え結局何度も考証を繰り返す諦めの悪さが諄諄しい。可能性はいつでも喇叭形に窄まっている。破綻した形態をこそ愛さなければ愛は無用の長物ということになる。──喇叭?違うな、遠くで旅行船の汽笛が聞こえている。妄想は現実に引き戻される。捉え所のない現実だ。「世界は疾うの昔に完結していたのだな。思考は猿の玩具さ」行楽客の哄笑に疎外を憂いながら独り言ちる。だから言ったのだ。進歩は危険であると。文明が横辷りを起こすような設計が遺伝子の類稀なるグッド・デザインだ。捕食器官が話術にハイ・ジャックされてからというもの、人間の絶滅は不可避に成り果てた。発明がなければ事態も持続性を失落することはなかったが、異端審問を真面目にやらなかったツケだ。西洋人の尻拭きは屈辱だが…まあいいさ。別にお前らが死のうが。

 灼熱に目が眩んで紫の残像が眼を役立たずにする。砂遊びを辞めて日陰に入る。閉じた瞼の奥で──何処かから唸る重低音が脳に響いて来る。濾過機のモーター音。脳の中の水槽。天面の蛍光灯が水景に幻想的なニュアンスを与えるが、実の所繁殖力の強い種が気の弱い綺麗な種を駆逐している。「お前はたったの三百円。こいつは即売会で二千円もしたんだがな」窓の外を見上げると、沈沈と雨の降る透き通った空気に包み隠されて透明な、羽撃く姿の見えない小鳥たち──自然は心底落ち着き払って朝日を歓迎している。人々の方はどうだか、右も左も時間割と建造物で厭になる。慰めの手法──テーゼがなければアンチテーゼもない。恋をしなければ失恋もしない。それで葛藤も苦しみもない。子供騙しの手品。或る命題について無知であることは一つ分の幸せなのだから、俄然無知蒙昧を誇るべきさ。空高く雲の隙間から堕ちて来る漠然とした退屈に対する防衛の策謀があれば、論理遊びの無限後退に歯止めを掛ける忘却の余暇を、つまり肉体の官能で感覚の庭を敷き詰めること。次いでロゴ入りの衣服を脱ぎ捨てる。ブランドショップはのべつ幕なしに焼却して殺菌。耳も目も口も殊更に不要な、純粋に触覚と官能の世界。平穏な暮らしをしたいのだ。

 瞼を開くと眼前には殺風景なメタファーが広がっている。ビーチとは大小あらゆる拘束具を脱ぎ捨てた裸者たちの楽園。知っての通りそんな場所は既にこの地上に存在しない。現実を排除した妄想の物語。また始まった、お前の悪い性癖だ。自分自身に追われて愈愈苦しい。追われる俺が影の方か?「…卑しい奴め。逃避したいだけだな」俺に見えている世界は、予感と余韻が溶け合う渚。時間の谷間に浮かぶ泡沫が人である。悲しいかな不可避なものだ変化とは。魂の生え変わりを受け入れることだ。俺の指先はあの日魂に触れた。世界で一番綺麗な魂。君を救いたいと思うエゴイスムも下らない郷愁さ。君が今も生きている。それだけだ。欲しいのは従順な恋人。事態はあまりにも非情で、人々はみな模倣品を支給され偽物の人生を謳歌している。そこでは幸福なティータイムもあるだろうが、襟を正した時に首筋にひたと感じる殺伐とした現実の気配──但しそれは幸福そのものではあるが──に気付かないように殊更努めている。背後を見返すような真似はしないことだ。何故ならばその先は地獄の道だと、俺もお前も遥か前から知っている。

魔法使いの君

 月夜の受け皿であるこの部屋に月光は有機的なカーブを描いて注がれる。秒針が響く灰色の部屋だが、この冴えない時間に於いては誰も知らない廃墟に放り出されたようでいて心地が良い。孤独を歓楽しているのだから受け取った手紙は荷物棚に置いて行く。自然法則の調律的な美からは格落ちの、不愉快な騒音をどのようにして消し去れば良いのだろうか。何も生み出さず何も消費しない生活というのが到底許されるかは知らないが、静謐以外の全てとの関係に対して拒絶を望んでいる。風と葉の鬩ぎ合いに耳を欹てて思考をしている──それは自動的に。そうして時間が過ぎ去るのを待っていた。時間とは本質的にその訪れを知覚することはなく、目の前から遠ざかって薄らいで行く姿を朧げに追憶することしかできないものである。

 他者の闇を受け入れることなど不可能だ。人の器はそれ程大きくない。人には一人分の容積しか持ち得ない。お前の恋人になりたい訳でもなく、ましてや特別な何かを望んでいる訳でもない。俺が知りたいのは、お前の一番醜い部分。細部。行動原理、趣味嗜好、癖、信条を理解する為に、お前が隠しておきたいその部分を隅から隅まで知らなければならない。そうして満足したら、お前の実像の方を綺麗に忘れる。俺の空洞を満たすのは、孤独の家家が林立するこの地上で、俺が独りではないのだという安心と諦め。優しくて気高くて空虚なお前が醜くて惨めなほど、俺の心は綿毛のように軽やかだ。だから、どうか、醜く在って、誰にも打ち明けられない矛盾に苦しんでくれ。それが明日の生きる糧になる。

 

 服に付いた煙草の匂いはどうしてこんなに心を落ち着かせるか。救済はこの世の何処にもなく幾つかの慰めの手法が存在するに過ぎない。幾つかの──木の軋みも響かない静かな寝床、隣人の体温、白く炫る庭、猫や蜥蜴、服に付いた煙草の匂い──宴は遠き過去のようだ。酔いが時間を早回しにするのか。或いはそんな現実など唯の空想だったか。余りにも、角のない食卓や並んだリモコンや薄汚れたコーヒーポットが、そこに存在している。些細な事物に気を取られてみても、俺の器用な五本指が持ち上げてやらなければ一人で動くことはない。それに倣って椅子に静止してみても何も起きずに時計の針だけが進む。そうこうする内に同居人が室内の空気を掻き回し始め、僅かに体温が伝染していた空気が俺の足首に別れを告げてまた冷たくなる。此処でさえ俺は所在を失くしてしまう。

 俺は一つだけ魔法を知っている。世界を変える魔法。嘘を本当に変えるという決心をする。それからとっておきの嘘をつく。それだけで世界は思い通りさ。ところがそんな目論見も甲斐なく、世界は放って置いても完璧なんだな。だから俺も君も何も作れない。真の創造があるとすれば完璧なものを破壊することだけだ。そうして空間と素材を作るのだ。詰まらない思考は放棄して、他の事でも考えよう。お腹が空いたとか、そう云う大事な事を。

 ──否、違う。そんなことを言わせたいんじゃない。唇も喉も固く閉じたら言葉は迷宮に口籠る。掛けたい言葉が口の中でスパゲティのように絡まってしまう。どれが頭でどれが尻尾?どうして僕らは僕らの思う通りには生きられないのだろう。現実は向こうから最短距離でやって来て、その姿も軌道も見えるのに、足の裏が地面にくっついて避けられず、俺は現実と正面衝突する。それはまるで引き合う水滴のように。引力は肉体の第一原理である。キスマークは地図を描く。海に沈むアトランティスの地図。

 一生分の言葉というものがあるとして、それを全部吐き出してしまったら、もう何も喋れなくなってしまう。だから人は居眠りで時間稼ぎをする。魔法を使い切った魔法使いのように、お終いにはファストフード店で労働をしなきゃならない。ロマンスも消耗品なんだぜ。愈愈諦めてポケットから取り出した虫取り網を振り回す。穴空きだから雲を掴めない。穴が大きいから美を掴めない。ひと振りする度に虫ばかり捕まる。虫は苦手なんだ。家に逃げ帰って布団を被るが、頭の中にドンドン湧いてきて歪な声で何かを喚いている。何を……何を言いたいんだお前。何故こんなにも思い通りになってくれない。

 

 驟雨に濡れて歩く女の俯きを眺めていた。女は消え去った。そしてまた現れた。──君は何故孤独なのか。それは君の魂が蒸留水よりも清いからだ。穢れの前に深く傷ついているから、君はいつだって美しい。まるで少女の涙のように。君は俺の傷を癒すと同時に、いやそれ以上に俺を深く傷つける。だとしても、それでもいいのだ。雨に濡れている君に傘を差したいと、ただそれだけを望んだのだ。だけれども、結局君が何を考えて何を語っているのかさえ俺には幾分も理解できなかった。ただ一言、運命などないさと慰めればよいのだと分かってはいても、俺にはその一言だけがどうしても許せなかった。

 何度も君にキスをする。確かめる。愛が在る。まだ在るか確かめる。愛が在る。何度も確かめる。愛が在る。何度も、何度も。まだ息が在る。素晴らしい確証だ。君には決して分からないような複雑な機械の話をしよう。君は何も知らない。だから、ありがとう。無くなって困るものは初めから手に入れない。僻地でも手に入る、代わりの利く道具。紙とペン。それが俺の全てだ。それから最後に、永遠に離れ離れになる君に歌を贈ろう。君が魔法使いを辞めて人間に戻ったその時は、遠い土地の誰かに思いを馳せて欲しいと日々願っている。

スケジュール

 テクストは我々の周りを周遊し、テクストは休日にはそこらを浮遊している。それは幽霊のようだ。人間はみな用がある時にだけ話を持ち掛けて来る。冷たいやつだ。意味のない冗談と体調を気に掛ける言葉を投げ掛けるのが正しい人間というものである。この場合の正しさは俺が独断で規定しているという問題はあるにしろ。

 眠れないまま日付を超えたが、空が白んでいて夜が訪れない。そうすると夜目が開けず、閉じたままだ。暗闇を求めている。寝床に接する半身が大地の底の震えを敏感に探る。地中に根を張ったソナーが底へ底へと、潜っていく。鯰が地底を泳いでいるのを感じる。彼は目の醒めたまま予知夢を見ている。俺には分かる。暗雲と嵐が訪れつつある。目眩が脳磁気を乱している時にだけ、俺は詩を書くことができる。目を瞑れば竜巻に乱れた海が何かを低い声で話している。その海はコンクリートのように重く、黒い。そしてスープのように生暖かい。俺はその声を聴いている。そしてそれを伝言する。それは血液の音だ。

 

 発明は破滅、又の名を廃頽。明るい街は大地を喰っている。豊かさには限界がある。けれども宇宙も人間もその程度の救いようの無いものだと、俺は思う。俺にとっては、夜は暗ければ暗いほど良い。テクストは俺を分割する。一個のテクストが俺を半分に引き裂き、もう一個のテクストが俺を更に半分に引き裂く。このようにして自己矛盾が果てしなく増殖して、俺の名前と一繋ぎの皮とが胚を一つに包んでいる。このようにして人間が誕生する。彼が証言台に立てば、テクストは苦しみの根源であると言うのだ。テクストを掻き消すのは重低音と睡眠とドラッグである。眠りは深ければ深いほど良い。宇宙のように。

 そろそろ内服薬が効いて来るはずだ。家は子供のようにあっちこっちに走り回っている。その振動で視界が小刻みに震えている。俺は横になる。幽霊というやつよ。人間は死んでも家に居座るようだ。そいつが重力とか慣性を受けるやつならば愈愈怖ろしい。触れ合えてしまえそうで、人間のようで。屋内に侵入する汚い虫が窓の端に潰れている。神はなぜ虫を躾けなかったのだろうか。暴力の距離とは、手の届く距離だ。体がなければ恐れるものも何もないのに、何故体が好きなのだろう。

 

 太陽。顔に籠った熱で頭がクラクラする。するとなぜか愛しいひとの姿が思い浮かぶ。彼女は永遠そのものに似ている。桜がこんなにも咲いているというのに、事実、永遠ではない彼女を愛するという自信が湧いて来ない。射精をした後の怠さのような時間が、この先の人生で何度もやって来るように予感される。性欲に正常性を奪われた俺がそれを取り戻した後の俺を想像するのは不可能だ。俺は人間である。部品の換装は難しい。永遠に近付くことが叶うのか、自分を試している。愛とは何か、幻だ。そしてそれはテクスト。人間が結婚をするのは、愛というものがそもそも存在しないことを恐れているからだ。

 実存は波動、幽霊も波動。まるで飛行場の騒音公害のように。──比喩だけれども──ここに空間があるとして、ここに一つの井戸がある。テクストは呼び水である。ハンドルを十往復したところで、彼は疲れてしまう。──当然これも比喩である。──弛まぬ努力によって汲み出されたテクストは、語られた側から腐り始める。ひとは、汲み尽くされ得ぬポエムの井戸からテクストを汲み続ける。幽霊もまた呼び水である。語ることで生きている。生きることで語られる。電波に居据わっている。幽霊は存在しない。幽霊は存在しないが、テクストは存在しないものについて語ることができる。テクストもまた存在しないからだ。

 少なくとも俺は約束の世界に生きている。存在しない未来に手掛かりを与える為に約束は執り行われる。だから一度約束を反故にしたお前をもう二度とは信じられない。宇宙的時間に振り回される石ころと同等の存在。約束を破ったお前と言葉を交わすことは二度とない。その喉から出た全ての言葉が、遡及的、未来に渡っても永久に意味を失うのだ。約束とは守られるものとしてのみ、時間と孤独とを超越する。果たされないのならばそれは約束ではなかったのだ。テクストの狭間で死んだ言葉たちが、目を閉じた俺の周囲を漂流して何かを叫んでいる。勿論聞く耳を持つはずがない。──だけれども、記憶と印象とが、ただ名前を持たぬ残骸としてそこに居据わっている。

一本差しの花束と世界を溶かす爆弾

 死に似た緩やかな穴に断ち切りの髪の毛が滑り込む午下りのように、劣等感と後悔と劣等感と──が、無限の縞模様を予期させる渦を描き、自然の摂理によって穿たれた得体の知れない黒い穴に飲み込まれてゆく。それは、永久の夜更け。

 未だ推敲の続く物語が出し抜けに君を好きだと言った。触れた感触のないページがひとりでに綴糸を擦り抜けたはいいものの、考えなしに所在がなく、奇数と偶数の間を揺蕩っている。後先を考えずに生きるのは人間の性だろう。取り敢えず、と用意された台詞は嘘でもなく、ましてや真実でもなく、恋慕の本質を構成する必然的な情熱、別の様態を取れば絶対的な判断基準が欠損している。そうだとしても、俺にとって欠損とは寧ろ好ましいものである。欠損者の持つ美は永久に辿り着けない蒼穹の神殿に座しており、中庸と正常に捕まった酷く眼の良い罪人は天を見上げて、だらしなく顎が開いていた。

 俺とよく似た、美に取り憑かれた人間だけを友人と認めることができた。俺とは終に交わらない、美そのものである女だけを愛することができた。醜い家鴨は文化的な好青年が好きだったから、結局白鳥に成ることはなかった。ベッドの隣で夢を見る人間は誰が見ても幸せそうに眠っていた。だから、俺がその姿を見守る必要はなかった。俺でなくとも誰でもよいのだ。

 矢継ぎ早に十二個の夢をファストに見るのなら、例えばロックスターになる、のような単純な番組が都合よく、名前を持たない深淵の実在を確かめる為に電波の波を手探りでザッピングし続けることに何か有意な目的がある訳はなかった。それでも意味のないことを続ける俺は特別な人間なのではなく、却って平凡な人間だった。俺は未だ何者でもなかった。肩書きは一つもなく、一つとして何かを作った事もなく、拾い上げた耀く石々は遠い誰かが太った指を鳴らすだけで忽ち粉塵と化して、その潤いさえもない掌から失われていく。全く以て無様だ。と、お前は思えばいい。それはつまりこういう話だ。一歩歩いたら二日寝込んでしまう怠惰な二十日鼠は寝ている最中に死んでしまって、即座に葬式は執り行われた。そして滑稽な式場では客席には冷笑さえない。そうか、とうに皆帰ったのか。

 

「そうだ。人を殺そう」

 

 俺は全く以て平凡な人間だった。俺の内には一つとして明々と輝くものがなく、必要なのはただ一つ、犯罪であった。俺のような人間にとって処刑台とは、黒豹と同等に艶やかに炫る背徳なのである。肉の内側から止め処なく溢れるものの正体は、人の力では廃棄不可能な憧憬である。何かに秀でると云うことは代わりの何かを失うと云うことであり、一方の俺は失う能力を欠如していた。怒りを表現として昇華する術を持たなければ俺は人を殺していただろう。人の道を踏み外さない結末を迎えるとしても、愛する人間の幸せを想う為には、共にならないことを願わなければならない。お前によって思想された世界では俺は最期まで独身者だ。それを言葉にするということはその言葉が胸の内の心木を脱漏している、という後ろめたさを暗示する。虚に飾り、一意に断定する言葉遣いが、寧ろ揺らいだ懐の輪郭を射影するものである。差したるは日本刀か花束か。何れも愛に殉ずる。お望みだろう。されど千日手。俺を許してくれないのは、他の誰でもない俺の歪みである。他人の金で遊び呆けて際限なく逃げ道を用意する女達や、腹を切る覚悟を持たずに生きている男達を、俺はきっと許すことができない。冷血な短刀が肋骨と寛骨の間の無防備な柔らかな腹に触れるあの恐ろしい瞬間のことを思う。失敗が転落へと、死へと転がり落ちる張り詰めた曲芸に酒を呑む人間達を、俺は必ず斬殺しなければならない。俺や、代わりの誰かが望んだ訳ではない。至って様式的な結末である。

 この瞬間にも俺の換羽を妨げる幾層もの透明の外殻は、タンポポの綿毛で腋窩を嬲る無邪気な少女のように剥き出しの心臓を撫でて、世界に対する不快感と自己嫌悪の為に海底で燻る独身の巻貝を想起させた。それは毒がある。殺意を宿さなければ不細工な鮟鱇に喰われてしまう。下り勾配が一度ずつ無慈悲に傾いていく機械の島で、若者はみな美しく、もう若くはない者が美しく歳を重ねるというのは難問であった。その内に俺は二十四になって、色々なことに気付くのが遅い人間なのだと気付いてしまう。恐らく今も何か大事なことを見落としていて、後からこの時間のことを後悔するのだろう。忘れてしまわないように、或いは忘れてしまってもいいように、明日からも筆を執り続ける。この声はただ、その残響である。或いはこのテキストにはもう、魔力以外の何ものも宿ってはいないのかも知れない。それでも俺は聞こえぬ声を聞こうとしている。絞り尽くされた深淵に未だ潜んで巨大な新世界が広がっていると、信じるより他に道楽を知らないのだ。

左利きテセウスの餡パン男

 天井には幽霊が住んでいる。だから目を開けるのが恐ろしい。暗闇が好きだ。光がなければ何も見なくていいし、何も見なければ何もしなくていい筈だから。答えの無い考え事をしながら、毎回遅刻してやって来る睡魔を待つだけでいい。例えば──俺は君が好きだけれど、暗渠暮らしの浮浪者には眩し過ぎる、光──のような苦言に留まらず、瞼の裏には幾つもの虫ピンが突き刺さるような光に惑わされて、俺は脳波の波間にぷかぷか漂っている。どうやらカーテンの裾合いが僅かに開いている。手を伸ばして閉じた。"手を伸ばした?"俺は果たして夢の中か、目醒めているのか、頭は未だ正常に機能しているか、観測者の眼を逃れた暗闇に於いては、後から言い繕う為の縫い残しがお作法だ。俺はいつだって優柔不断だった。加えて方向音痴だった。だからいつも選択を間違える。人生に出遅れる。冬は嫌いなのだ。外套がなきゃ何処へも行けない。好きと可愛いとセックスをしたいって同じなのか。多分違うな。俺の見たところでは、好きと好きになって欲しいがペアになって、可愛いとキスをしたいがペアで──違う、可愛いと可哀想がペアで、セックスをしたいと一人旅をしたいがペアだ。同じ排水溝からわらわら湧き出て来る。蝿のように。

 ともかく、そんなことで理解した風を気取るなよ。碌な面倒を見ずに手のひら返して消費する権利があると思うのか。天秤は釣り合ってないと駄目なんだ。俺のような人間は生まれ育った環境に不平を言えず、自分が悪い、意志が弱いと自分を責め続けて生きている。それもお作法。そうなのか?そうだとしたら人生は悲しい。──いや、弱音も何も吐く権利はお前にはまるで無い。せめてもの自己防衛、その為だけに画策している。頭の餡パンを略奪され続けて自己同一性を保てなくなったテセウスの餡パン男にしたって──暴力を笑うな、気持ちの悪い笑い声でひとを笑うな。──にしたって、自己犠牲は無為、世の中は全員敵、当然。地獄と同じ構造の欠陥住宅を建てやがった、あいつ。一日も早くこの監獄を脱獄しよう。湿気で魂が腐敗する前に。清潔でしなやかな魂だけがお前の取り柄だろう。

 休息は罪?病気になるのは罪?自分の価値を下げるのは罪?辞書と云う奴はいつも曖昧に嘯いているな。法の定めるところでは罪ではないと云う注意書きはエスプリ、身内ネタ、飽き飽きしている。まるで署名と捺印によって土台不利な契約を交わされた公共放送の視聴者の如くお前は罰せられ、誹りを受ける。お前を突き落とすのは多種多様な紙束を握り締めた人間だ。罰があると云う事は翻って罪?──それで愚者の誕生。無神論者のお前には是とも非とも明晰を欠くことだ。以上のようなルーティーンに従って次々と罪が量産される。有り難い大量生産の時代だ。けれど俺は今更欲しいものがない。カタログには幻想が必要だった。街の喧騒を固形調味料に凝縮した際の音が、消魂しいお前たちの言葉の全てが、排気ダクトに粘着する変色した油のような呪詛に聞こえる。美を知ったような知性もなくリズムもなく、生きて死ぬまで穢らわしさだけ一貫している。俺が嫌いな君の気持ちも今は理解できる。だけれど俺は君のことが嫌い。蜘蛛の巣に火を付けて、滑り台に火を付けて、とうとう俺は異常者に憧れているだけの哀れな人間だということに気付いた。今日も鏡に向かって笑顔の練習をする。人間に成りたての宇宙人のように。それではまた。

心臓の骨

 セックスか散髪をしたい。或いは死にたい。或いはこの世の全ては壊れやすく、当然、俺はその内のひとつだった。光は電気装置の爛れた廃棄物。つまりアミューズメント。俺の生は既に執着の対象外へと──素直な言い方をすれば、エロい天使のように堕落した。俺は俺を不断に呪い続けなければ、生きる事が出来ない。痛みも恐怖もゲームの設定。表現と云うものの実体は人生なのだから、噛んだって獣の味しかしない。つまりバツが悪い。結末は偏に蒙昧としか言いようがない。永遠の夜が暖かければ、排泄的な思考は歩みを止めて──俺はただ、俺を動かす運命から赦されたい。快楽の奴隷はどうやら幸せそうだ。言葉はどこまでも騒々しい。死は脱衣。ようやっと重いだけのヴェールを、いち早く脱ぎ捨てたい。雛は順番を待っている。だから星は綺麗なんだ。だから、俺と踊ってくれ。死のダンス。逆立ちして詠んだポエム。言葉を飲み過ぎて胃が焼けたから、全てを吐き出したい。

 さあ、幽霊をぶん殴ろう。死後も来世も必要ない。必要なものは二つ、ヴァギナとペニス。表現は簡単だ。お前の人格を守るステイトメントをストリップショーの餌にしよう。俺が誰だか分からなくなってきた。多分、獣だ。か弱い女を犯せと神が命令する。何故なら、神はお前が吐いた嘘だからだ。カメラが回っている、早く踊ろう。薔薇色な人生を謳歌しよう。そして春が来る前にテロを起こそう。モラトリアムは野鳥に食い荒らされているのだから。害獣駆除は誇りある仕事さ。必要悪はただの三文字。拳を握ればお前は武器になれる。肉体の終着点はやはり暴力だ。言葉を正義と悪に分類する遊びも飽きたろう。なら、全部辞めにしよう。脳をミキサーにかけて純粋な獣になろう。お前はそれを求めている。そうしたら人間は最高さ。

 そろそろ希死念慮が恐ろしい。脳はじっくり煮込まれてまろやかになってきた。観念さえもここでは不可逆だ。暗闇で生活していると、金も銭も輝きを失っている。人間には希望が必要なのだから、ペンを握るしかない。頭蓋骨にも隙間はあるのだから、銃がなくとも人は殺せるのだ。人を殺しているのは一体誰なのだろう?──ひとつ言えることがあるとすれば、死にたい奴は味覚音痴だ。空気は味がしないのだから、偶には山にでも登るといい。人間に飼い慣らされると腹が空くけれど、我々は野良犬で在り続けると誓っただろう。俺はただ、ひたすらに、光を浴びたいだけなのだ。夢から覚めたらとびきり新鮮な肉を食いたい。物欲はないけれど、いつも欲しいのはスリリングな瞬間の連続だ。そう云う中で初めて眠りにつけるのだから、ひとつ可哀想に思ってくれ。今は慰めが傷口に滲みるから。怪我なんてした事はないけれど、多分俺の涙は味がしない。それを確かめることが出来たなら、もう泣く必要はないだろう。次の日には砂になるから。

 ──そうそう、あの時の言葉は嘘だった。お前には幸福になる権利がある。うっかり俺は権利を放棄したけれど。頭は右回りに、血管を締め付けながら回転している。夏の熟れた西瓜のように。今まで恐怖が俺を生かしてきた。明日からどう生きれば良いかなんて、保険の先生だって教えてくれない。地獄に行くなら一人旅が良いさ。次いでに誰かの不幸を盗んで行こう。花は散るのを怖がりはしない。だから俺も死を怖がらない。そうしたら毒ガス帯だ。お前は美に近付いてはいけない。順番を間違えてはいけない。俺は結局、戻る道が崩れているから幸福が鼻の先にあると盲信するのだ。野良犬も美しければ本望だろう。ところで心臓に骨はあるのか?柔らかいものが丈夫じゃないか。女も子供も。邪魔な杭は引っ張り抜いて、軽くなった身体で新しい世界に飛び移ろう。だって、これはダンスだ。