失われし喫煙所を求めて
パンデミックによる新たな世界情勢の中で、東京五輪を延期にするか中止にするか議論がなされている真只中だが、昨年の7月1日東京五輪に向けた法改正に伴い上野の藝大の敷地内は全面禁煙となった。
受動喫煙防止という題目に不服はなかったが、喫煙所というのは煙草を吸う為だけの場所ではなく人々の交流の場でもある。
体裁はどうだか知らないが、学生達の健康が増進されるということもなく、蜘蛛の子を散らすように学生達の交流の場が奪われたに過ぎなかった。(禁煙などお構いなしという人も勿論いるが)
何故今になってそんな話をするのかというと、コロナウイルスによって人々があらゆる交流の場を奪われている深刻な事態とこの些細な出来事を重ねて捉えたからだ。
失われた居場所を再現するということに何か意味があるのではないか。
他でもない藝大の喫煙所をモチーフにしたインターネット空間を作ろうという考えに至ったのはこのような経緯である。
現実の喫煙所は形こそあれ、意味上の場所は消失してしまった。
だからこそ誰もがアクセスできる開かれた電子上の喫煙所を再現したい。
https://smokingcyberspace.herokuapp.com/
そうして出来上がったのがこの作品だ。
名前を入力してログインすると、藝大生であれば見慣れた喫煙所のゲーム空間が待っている。
名前が未設定だとanonymousになったりなど、2ちゃんねるを参考にしてはいるが、同じ時に他の人がいなければ、発したメッセージが誰かに届くことはない。
他者の痕跡がわかるのは、ラジカセに入力されたYouTubeのミュージックだけだ。
まだまだコンテンツ力に乏しく閑古鳥が鳴いているが、それは管理人の手腕に掛かっているのである。
キャラやフィールドや追加機能(ゲーム内ゲームとか面白そうだなと)はこれから少しずつ作っていく。この場所がオリジンだ。
簡単なアプリすら作ったことがない人間が、複数の未経験言語とサーバーの知識を付けながら短期間でよく作ったと自分を褒めたい。
それから、この作品を作る前にゲームメディアを用いたパフォーマンスを行ったのでそれとの関連も述べたい。
プレイヤーとNPCが、友達とチャットボットが、人間とディープフェイクがあべこべになってもそれに気づくことができないパラダイムを迎えている。
これはZoom社のWeb会議アプリを通じて自己紹介を行った際のパフォーマンスだ。
筐体の外にキャラクターがいて、それを筐体の中の私が操っているという図である。
技術的にはどうということもないが、今だからこそ本質が良く見える。
パンデミックで私達の肉体が散り散りになりネットを通じてしか他者と触れ合えない今、私達の肉体はゲームの中のキャラクター達と同じレベルの存在だということを示している。
方や失われた現実の模倣、方や現実の懐疑。
この二つの作品は、現実のネット化とネットの現実化という対になっている。
ネットは現実の代替ではなく、無秩序の海である。
ゲームは、ディスプレイとコントローラでゲーム内の世界を冒険することができる。
スーパーマリオがそうであるように、子供でも大人でも言語が違う人でも、説明するまでもなくゲーム内のキャラクターを意のままに操ることができる。
ソケットのように”目と皮膚”から伸びたインターフェースがゲーム内の肉体に接続する。
脳が肉体に接続するのと同じように、電気信号を遠隔の肉体にネットする。
恐らく意識が接続するべき肉体が必要なのだと思う。
ネットが地球を覆ってから人々の”目と皮膚”はソケットのように線状に延長している。
ネットとディスプレイを通して”皮膚を失った目”が、ウェブサイト、SNS、ビデオストリームに供給される”目を失った皮膚”を覗き見する。
もはや目は肉体を失ってネットと結合してしまったように感じられる。
そのことを憂うことはできるが、テクノロジーの進歩を止めることはできないだろう。
”目と皮膚”の乖離が避けられないものであるならば、延びた目の先にもう一つの肉体を作れば私達の孤独感は満たされるのだろうか。