考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

陽溜まりの詩

 人知れず書き置きを残すだけの静まり返ったブログでも未来的にパブリックであることには変わらないので、何処にも行き場のない文章がメモ帳に堆積してしまいます。山積みの文章を時系列順に整理したくとも日付不明の走り書きの多さに困り果て、今更ながら日記を付けるようになりました。とは言うものの、思っていることを素直に書けば書くほど傷つくひとが現れるもので、人間というのは心底どうしようもない生き物なのだと思わなければなりません。ひとを傷つける真実よりも優しい嘘が求められる世の中ですし、美人ですら八方に気を遣わなければならないと聞きますから、表現者には千里眼が必要でしょう。言葉を囀る鳥が自ら口を噤めば喜びの否定、紐で無理矢理塞げば動物虐待、言葉で律するのは鳥には土台無理な話です。このようにして鳥という生き物は自由なのですが、人間社会ではそうも行かず、人目に触れない場所で独り言を推奨されるもので、人間はみな孤独で悩まされます。然しながら鸚鵡返しは賢さというよりも愚かさ、自分でも訳の分からない言葉をリピートする馬鹿な鳥になりたくはないのです。指先の思い付きだけで文書を書き残せる良い時代になりました。充電だけは目減りが速くこれからの技術躍進に期待するところではありますが、とにかく一日の速さは増すばかりです。茶でも飲んでゆっくりして行けば良いのに時間という奴はせっかちで、一秒たりとも待ってはくれません。このままのペースではいよいよ死ぬまで何も成せない。原因は定かではありませんが私の内面は蛹のようにどろどろの液体になっています。それで何に変身しようというのでしょうか。

 愛する人と遠くまで続く田園風景があればそれで満たされるか。世の苦しみからは縁遠い幸福な時間をイメージすると訳も分からず胸騒ぎがします。この胸のざわめきは何?欲しいものは何だったのか、それは分からないが私は何処かが決定的に欠けている。ネジよりも決定的な歯車が。そして欠けた部分を厚手のカーテンで覆い隠している。一瞬雲が太陽を包んだようだ。この程度が私には丁度良い。人の声が騒がしくて眩暈がするので、とにかく一人にして欲しい。当分は話し掛けないでください。詮索はもっての外。風を受けて目を閉じて、殻に篭って耳に蓋をする。唯一つ望みが叶うならば、美しい静けさの中で安静にしたい。目を開けば胸が騒ぐから。時間は急くのを止してくれ。時計の輪転は私には速過ぎる。風を受けて目を閉じる。何かを思い出しそうになっても押し殺す。何も思い出さなくて良い。何処にもない美しい陽溜まりをイメージする。