考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

戯言

 時間を溝に捨てると溝に時間が溜まって行きますので、いつか溝浚いをしたときにかつて捨てた時間が見つかります。ハムスターが頬にひまわりの種を蓄えるのもこれと同じ原理ですから、時間を溝に捨てるというのも実は建設的な話になります。ですので、これを読んだ賢明な読者の皆さんは積極的に時間を溝に捨て、貴重な時間を貯蓄し、きたるべき将来に備えましょう。可愛い可愛いハムスターとは対照的に、ドブネズミが皆から嫌われているのは、皆が溝に捨てたものを狡賢く拾い集めているので嫌われているのです。泥棒の中でも特に罪深いものは時間泥棒ですが、泥棒の語源もまた、皆が泥に貯蓄した時間を棒で浚うアコギな連中から来ています。捨てるフリをしながら実際には捨てていない人間の方が本当は何倍も狡いのですが、それが人間という生き物の習性なのです。

 将来的に揉む可能性のない乳の大きさなどどうでもよい。と友人のKが言っていました。要するに、裸体が灰になるが先か手指が朽ちるが先かと云うのが人生だ。という理屈らしいです。人がギャンブルに溺れるのは可能性という麻薬が人を狂わすからですが、可能不可能を自然に任せるのは心の弱き者のすることで、強く気高く生きようと思えば、己の心で可能不可能を決定するべきです。眼の前に存在する力強き乳を揉むことが出来るか否か、酒の勢いや星月夜のロマンスな雰囲気が決めることでは断じてなく、己の心が決定するべきことであり、揉むと決めた乳は必ず揉み、揉まぬと決めた乳は必ず揉まぬ、そういう覚悟が男を男たらしめんとす。と友人のKが言っていました。

 広くご存知の通り、私はここ数年で嘘ばかり言う人間になっていました。しかしながら反省はありません。何故かと言えば、誠実で如何にも信用できそうな人間は一見すると素晴らしい人間ですが、そのような態度にはその人間の底が一切見えてきませんので、それでは寧ろ信頼される人物にはなれないのです。ですので、嘘ばかり言って十三湖の如く浅き己の底をこれ見よがしに露呈して、それで初めて信頼される人間になれるのです。仮の話ですが、仮にあなたがひとを利用しようと企んでいるとき、あなたと同様にひともあなたを利用しようと企んでいます。或いはそうでなくても、大体のひとはあなたを利用しようと企んでいるでしょう。利害のみの関係にあたたかき心というものはないので、夏には涼しく快適で丁度いいですが、夏を過ぎて肌寒い季節になりましたら、その時は嵩張りますので容赦なく断捨離するのをおすすめします。そして次の夏は電気代をケチらずにクーラーを付けましょう。