考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

風吹く夜は眠りなさい

 風が吹いている。父の手製の風車が、小さな妖怪が笑うかのように不穏な音を立てている。建て付けの悪い家中の窓という窓、雨戸という雨戸が、鈍い音を響かせている。当然二階ではあるが、外から誰かが叩いているかのような錯覚に陥る。

 この家に引っ越してきた最初の夜は嵐だった。雨風が窓を叩くので雨戸を締め切り、一つも荷解きが済んでいない段ボール箱の山に囲まれていたため、一筋の光も入らない部屋に眠ることになった。灯りを消すと本当に真暗闇に包まれた。夜半に目を覚ますと、枕の向き天井の高さはおろか、目を閉じているのか開いているのか、地球にいるのかさえ分からなくなってしまって、幼児の頃のような寂しさを覚えた。プルースト失われた時を求めての冒頭がそのような始まり方をするものだから、きっとプルーストにも似たような体験があったのだろうと思い至ると孤独も和らぎ、直に再び眠りについた。

 

 夜に吹く暴風は不穏の前触れだ。シューベルトの魔王でも、恐ろしいのは魔王ではなく風だ。耳の穴の産毛を逆立たせると、家の隅から隅にまでに菌糸が伸びるイメージを伴って神経が行き届く。近辺の道路で信号待ちをしている車のエンジンの温かな振動まで感じる。

 廊下の時計の針の音が一昨日頃から煩い。気にし始めると余計に煩いものだ。必要のない時計を家に置いてはいけない。怠い体を起こし電池を抜いた。家に帰ってきた後で予定がないのならそもそも時計は必要ない。眠くなった時に寝ればいいのだから。

 零時過ぎの電車の停車中に滑り込む空気が山頂の霧のように冷たく、堪らず首元までジッパーを閉めて、筋肉を硬直させた。ようやく年の瀬を実感した。

 愈々風が強くなってきた。年越しに備えて夜更かしをしようと思ったが、今日のような不穏な夜は寝てしまうのが吉だろう。

 もしそこに読者が居るのなら、貴方は年越しを誰と過ごすのだろう。私は例年通り、地元の友人たちと二十四時間営業のファストフード店で朝まで過ごす予定だ。もしそこに読者が居るのなら、体には十分気を付けて。良い年を迎えてください。