考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

興白き事をして暮すべき

 「人間一生誠に纔かの事也。 好いた事をして暮すべき也。 夢の間の世の中に好かぬ事ばかりして苦を見て暮すは愚かなること也云々…」

 拝啓、先生。先生は煙草を吸う度にこういうことをよくぼやいていましたね。背筋のくたびれた先生は、あれから好きなことを仕事にできたのでしょうか。私は面白きことに人生を捧げることに決めましたのでご報告致します。捧げるという表現では献身のようですけれど、こいつとは寧ろ一蓮托生で…。人生の拠り所は人それぞれ、愛でも仕事でもオタクカルチャーでも何でも良いけれど、私は懐疑主義者でありますので、終わりのあるものは最後の最後で信じられなくて、生きた人間も信じられない。面白きこととはまるで花火玉のような快楽だから、ぽっと光って、すぐに消えてしまう。しかし人生そのものが絶え間なく面白ければ夏祭りに終わりはない。

 面白いという快楽を下支えするのは終わりのない学問研究。同じお笑いで二度笑うのは難しいので、新しい刺激を探し続けては刺激の新しさをジャッジする味蕾と知識を洗練していく。物を作るということはそういう自己完結的な運動なのだと思います。狂信的なオタク道と劇的な破滅道、これらは現在並走中の二本道ですが、私にとっては二本道はいつか合流して一本のドラマツルギーになります。それはつまり語り部となることをですから、初心通りの遠回りだったと、いつかは語るんでしょう。定められた筋書きです。

 私には面白いということにしか人生が分からない。囚われているか救われているかは今以って分からないけれども、私は愛を知らないのです。人生は楽しまなければ地獄です。楽しんだとしても苦行です。しかし苦しみ過ぎると頭がいかれてしまうので、頭は一番に大事にした方がいいと思います。近頃、夢で話した内容と本当に話した内容とが混濁気味なのですが、どちらでも大して変わらないでしょう。発話というものは口から出てきて空気の摩擦で燃え尽きる。消える先が夢でも現でも、呪いは自慰的に降りかかり、焦げ付いた匂いが中々取れない。

 ところで、今思い出したので最後に小話を挿入しましょう。中学生の時「面白い」を「興白い」と書く癖がありました。中学の英語で「fun」と「interesting」が違うので不正解と言われて、しかし感性はひとによるだろうと頭に来たもので、「面」という字は兼ねてよりロボットだったので、変形して本領を発揮すると「興」になって勝ち確BGMが流れて、ジーク・ジオンを滅ぼすという理屈です。