考えごと

散歩、ポエム、むらさき。

怠惰礼賛

 尊敬に似た畏怖。尊敬に似た卑屈。胸の底から湧き出るニヒルを可能な限り無意識の方へ押し遣って理性的に拵えた尊敬を建前にするが、結局ニヒルを正当化し主観的な価値判断を主観の名の下に確定する。そういう独善的な態度に嫌悪感を感じているが、過剰な道徳心は身を亡ぼすというのは心得ている。しかしながら、気にしないことを気にするというのは禅問答のようであって、葛藤というのは難しい。…道徳心というのは半分は嘘で、実際は卑屈から来るものであるから自制心を高く持つこと。所詮は自己実現の矛盾である。怠惰の快楽と苦痛は非情である。快楽と苦痛をパッケージしてしまうこと程罪深い事はない。生や性というものが初めから快楽と苦痛のパッケージであるから人間の情動もそれに倣うという訳か。しかし私には、怠惰を愛せる人間の方が生き生きしているように感じられる。

風吹く夜は眠りなさい

 風が吹いている。父の手製の風車が、小さな妖怪が笑うかのように不穏な音を立てている。建て付けの悪い家中の窓という窓、雨戸という雨戸が、鈍い音を響かせている。当然二階ではあるが、外から誰かが叩いているかのような錯覚に陥る。

 この家に引っ越してきた最初の夜は嵐だった。雨風が窓を叩くので雨戸を締め切り、一つも荷解きが済んでいない段ボール箱の山に囲まれていたため、一筋の光も入らない部屋に眠ることになった。灯りを消すと本当に真暗闇に包まれた。夜半に目を覚ますと、枕の向き天井の高さはおろか、目を閉じているのか開いているのか、地球にいるのかさえ分からなくなってしまって、幼児の頃のような寂しさを覚えた。プルースト失われた時を求めての冒頭がそのような始まり方をするものだから、きっとプルーストにも似たような体験があったのだろうと思い至ると孤独も和らぎ、直に再び眠りについた。

 

 夜に吹く暴風は不穏の前触れだ。シューベルトの魔王でも、恐ろしいのは魔王ではなく風だ。耳の穴の産毛を逆立たせると、家の隅から隅にまでに菌糸が伸びるイメージを伴って神経が行き届く。近辺の道路で信号待ちをしている車のエンジンの温かな振動まで感じる。

 廊下の時計の針の音が一昨日頃から煩い。気にし始めると余計に煩いものだ。必要のない時計を家に置いてはいけない。怠い体を起こし電池を抜いた。家に帰ってきた後で予定がないのならそもそも時計は必要ない。眠くなった時に寝ればいいのだから。

 零時過ぎの電車の停車中に滑り込む空気が山頂の霧のように冷たく、堪らず首元までジッパーを閉めて、筋肉を硬直させた。ようやく年の瀬を実感した。

 愈々風が強くなってきた。年越しに備えて夜更かしをしようと思ったが、今日のような不穏な夜は寝てしまうのが吉だろう。

 もしそこに読者が居るのなら、貴方は年越しを誰と過ごすのだろう。私は例年通り、地元の友人たちと二十四時間営業のファストフード店で朝まで過ごす予定だ。もしそこに読者が居るのなら、体には十分気を付けて。良い年を迎えてください。

SNSについて思うこと

 今の時代に個人ブログというものを何処かの誰かが読んでいるのでしょうか。有名人やら芸能人ならいざ知らず、ネット越しの何処の誰とも分からない凡人の、浅学な個人的な美学についてのブログを見る人のことを好事家と言うんでしょうね。私に熱心なネットストーカーという有難い存在がいるかどうかは分かりませんけれど、これは後世に向けた書き置きです。

 SNSという名前の輩は目を開いているだけで文章が自分から挨拶回りにやってくるようなのですが、貴様のように厚かましい文章が在って堪るかと、私は思う。広告というものは土台そういうものなのでしょうけれども、低俗。美しい文章とは、ひどく晴れた高原で、或いは土砂降りの雨の中で、身動ぎひとつせずに静かに佇む者。何百何千の怠惰な人々に監視された取調室で陳述する文章というのでは、自己検閲の嵐を潜り抜けた骸骨船。長い航海で船の形状を保っているかさえ疑わしい。誰にも見られず、他人にとやかく言われずに残された文章こそが本当の文章であって偽物の文章は箸休め程度の広告声明文である。

 好感度が数値化されるSNSに載せられた文章には、私はどうも魅力を感じない。一方で、2ちゃんねるの廃れたスレッドの何気ない文章に見る魅力は何なのでしょう。魅力を感じ得ない文章というのは、発見する文章ではなく押し付けられる文章である。校長先生の長いだけの洗練され得ないスピーチ、あれは結局何の儀式だったのでしょう。日記帳に書いて満足すれば良いようなことを誰かに押し付けている。言論の自由憲法で保障されているから勿論好きにすれば良いけれども。私は化石彫りのように発見される文章が好きだから、いつか発見されるであろう文章をこれからも書き続ける。そういった継続の中で筆力を高めていこうという思いです。

ある町の話

 躊躇しながら敷居を跨ぐと、そこは他人の家だった。奥ゆかしく散らかった古い長屋である。住人と見られる幼女と目が合い、一瞬迷って丁寧に挨拶をした。

 壁に書かれた書き置きに従って靴を脱いで、裸足で家の奥へと進む。そこには大戦以前から残る彫刻が町に調和しつつも佇んでいた。

 私が彫刻を見ていると、幼女が彫刻の中に入って遊び始めた。すると幼女も彫刻の一部だったのだ。幼女は何かを言いたげに私を見つめていたが、私は居づらくなってその場を去った。私は幼女に何をすればよかったのだろうか。

 

 私は古文書を手にしていた。そこにある地図を頼りに雨の中、ある珈琲屋を探していた。

 探していたというのも、何処の珈琲屋でもいい訳ではなく、古文書に記された書き置きに従って行かなければならない一つだけの珈琲屋だった。

 そしてその珈琲屋は閉店していた。私は目的地を失い狼狽えた。

 

 五分後、私は珈琲を飲んでいた。村長は私に代案を提示し、私はそれに承諾した。つまりそこは書き置きに記された一つだけの珈琲屋ではない、只の珈琲屋だった。

 趣味のいい素朴な陶器を揃える小さな珈琲屋だった。考えに耽りながら居座っていたから、私の後から入ってきた女性が店主に「実は」と深刻そうに切り出す話に聞き耳を立てなくとも、背中越しに聞かざるを得なかった。

 異邦者が聞いていい話ではないかも知れないが、私にはどうにもできないことだ。彼女は語り始める。

 実は、町のイトーヨーカドー無印良品が入るという話だった。するとカウンターに座っていた先客が、我こそは無印良品の店長なのだと告白し始めた。

 そんなコントのような話がある訳がないから、きっとこれは町ごと仕組まれた演劇だと、私は真実に辿り着いた。すると私の手にするこの古文書は、村長の書いたフィクションだったのだ。私はもう退屈だった。

 

 白けた私は店を出て、雨に濡れてしまった古文書を丸めて路肩に投げて捨てた。私は一刻も早く、雨雲の立ち込めるこの町から出たかった。

 小さな駅舎から乗る電車は、仕事終わり学校終わりの乗客で込み合いひどく湿気っていて、今時珍しく電車の灯りは蛍光灯よりも光量の劣る白熱灯だった。会話が聞こえてくることもなく、仄暗く照らされる乗客の顔は、大人も子供も虚ろだった。

 

 私がこの町に来ることはもう二度とないだろう。

夢・脳波・妄想

 不思議の国のアリス症候群が起きるとき、あの感覚、あの記憶、あの声がリプレイされる。何でも良い、脳の中で独り言を大声で喋ってあの声を塗り潰さないと、あの声がすぐそこまで近づいてきて俺の不安を駆り立てる。恐ろしくもあるが、同時に彼が俺に何を伝えようとしているのか、本当は聞かなくてはならないようにも思う。彼は一体誰だったのだろうか。

 暗く深い滝壺で友人たちと鮫に襲われる夢を見た。必死で泳ぐと、逃げた先は真夏の太陽に降り注ぐ美しい浜辺だった。黒い子猫を拾う夢を見た。気付くと猫は何処かへ居なくなって、探し回っても終に見つからなかった。猫は自由なのだ。それでも後悔の気持ちだけが残暑のように残った。コンビニに駐車していた車を白昼盗まれる夢を見た。驚いて振り返るとそこは舗装もされていない雑草の生い茂る田舎道だった。いつの間にこんな場所へやってきたのだろう。胸に穴の開いた抜け殻のような感覚だけが残っていた。

 時々インターネットに潜って他人の夢を蒐集している。人間は夢を計算する機械なのだ。宇宙の深遠よりも、深海の深遠よりも、本当は人間の深遠が最も広大だ。何故ならそれは宇宙の外にある。会話は口と口の関係、いつか心と心が関係する日が訪れるまで、嘘は会話と肩を並べている。心と心が関係できてもこの肉体では争いも無くならないだろうけど。

「幸運」

ネパール人と喧嘩をした

 上野は好きだ。この街ではカルト、ホームレス、藝大生、オカマ、異常者、外国人、様々な人間が暮らし、賑やかな通りを行き交っている。私は上野に程近い居酒屋でアルバイトをしているのだが、私のバイト先では何故かネパール人が沢山働いていた。

 三つの店と一つの厨房が繋がっている変な構造の店舗で、大雑把に言って私の仕事はホールと厨房の間で雑用をする。日本語があまり喋れなくても皿洗いくらいはできるから、バイトのネパール人たちは大体私と同じ雑用として働いている。

 コロナで客足が遠のいてしまうまでは、毎日三、四人のネパール人たちと一緒に仕事をした。ネパール人たちと上手にコミュニケーションを取り、ちゃんと仕事をさせるのも私に与えられた役目だと勝手に思っていた。「ガムガラ」は仕事しての意味らしい。

 彼らは日本人とは異なる労働の価値観を持っていて、日本語が巧みなネパール人でも「サボる」の概念を共有できなかったりする。多分、仕事は当然サボるものなのだ。

 

 元々人懐っこい民族性もあるのだろうが、毎日コミュニケーションを取っている内に彼らから少なからず信頼されるようになった。

 平日のメンバーは特に人懐っこくてすぐに仲良くなれたが、反対に休日のメンバーは馴染めず少し苦手だった。

 ネパール人が多い職場だからやっぱりネパール語が飛び交っていて、簡単なネパール語は教えてもらったが、彼らの母国語での話し合いは理解できるはずがない。彼ら同士でずっと母国語で喋っている間は、日本にいるのに一人で海外へ渡ったかのような疎外感を感じる。

 とは言っても、彼らは彼らで日本語学校で日本語を勉強してきたので日本語は達者なのだ。偶に抜群にエッジの利いたジョークを言ってくるから困ってしまう。

 

 当然ながら、コロナの煽りを受けて私のバイト先も二か月間ほど休業することになった。私は実家暮らしでお金にはそれ程困らず、むしろ時間が出来たお陰で本を読んだり勉強したり有意義な時間を過ごしていた。

 その間頭にあったのはネパール人の彼らのことである。私は彼らの生活のこと、学校のこと、家族のこと、色々なことを聞いていたから収入が無くなることが即ち何を意味するかを考えずにはいられなかった。

 彼らは仕送りも奨学金も貰えず、いつ寝てるんだって云うくらい掛け持ちで働いて、生活費と学費を稼ぎながら学校に通っていた。それが突然「明日から仕事がなくなります。」と言われたらどうなるだろう。パンデミック下では渡航規制で母国にも帰れない。休業補償も出ない。どうやって生活していくのだろう。

 

 先月からようやく私のバイト先も営業を再開し、柄の悪い従業員たちとの久しぶりの再会になんだか絆が深まったような気がした。ネパール人たちの顔は見えなかった。

 再開しても客はめっきり減って、売り上げは芳しくなかったと思う。真面目で卒なく仕事をこなす私はマネージャーから厚く信頼されているらしい。いつも希望通りのシフトに入れて貰えた。

 営業再開ののち、暫くしてから一人のネパール人に再会した。久しぶりに会った彼はもじゃもじゃだった髪をばっさり切っていた。「さっぱりしたね。」と私が言うと彼は笑った。

 それから何人かのネパール人たちも戻ってきたが、結局厨房のも合わせて3人しかいなくなってしまった。他のみんなは辞めてしまったらしい。ネパール人同士も互いの連絡先を持っていないらしく、元気でやってるかどうかも分からない。

 

 そんなこんなで同じポジションのネパール人はばっさり髪を切った彼だけになってしまった。

 休日のメンバーが苦手と書いたが、その理由が他でもない彼である。こんな歳にもなって情けない話だが、彼とは以前一度喧嘩をしてしまった。喧嘩とは言っても私が一方的に感情をぶつけられただけで、私の方は「ミスったな」というようなことを思っていた。

 それから暫くの間ギクシャクしていたのだが、コロナでみんな散り散りになって奇跡的に再会した後では不和もどこかへ吹き飛んでしまった。話してみると彼とは結構気が合った。彼は見た目とは裏腹に(失礼だ)本が好きで、フィロソフィーやサイエンスフィクションの本が好きだと言う。私も好きだと伝えると、日本人おすすめの作家や映画を聞いてきたりした。「君の名は。」がサイエンスフィクションかどうかという話で盛り上がった。

 

 急に萎らしくなって、ごもごもと下手な日本語で喋りだしたので聞き返すと、以前喧嘩したときのことを謝ってくれた。

「アナタのことよく知らないときは怒ってしまった。今はよく知ってる。アナタいい人」

 過ちを素直に謝まられたのはいつぶりだろうかと私は思った。大人になると謝れなくなるものだから。私にも謝りたいひとが何人もいて、上手く伝えられる自信もなくて、彼がひたすら眩しく見えた。

「友達なら喧嘩するものだよ」と、私は彼に言って笑った。

失われし喫煙所を求めて

パンデミックによる新たな世界情勢の中で、東京五輪を延期にするか中止にするか議論がなされている真只中だが、昨年の7月1日東京五輪に向けた法改正に伴い上野の藝大の敷地内は全面禁煙となった。

受動喫煙防止という題目に不服はなかったが、喫煙所というのは煙草を吸う為だけの場所ではなく人々の交流の場でもある。

体裁はどうだか知らないが、学生達の健康が増進されるということもなく、蜘蛛の子を散らすように学生達の交流の場が奪われたに過ぎなかった。(禁煙などお構いなしという人も勿論いるが)

何故今になってそんな話をするのかというと、コロナウイルスによって人々があらゆる交流の場を奪われている深刻な事態とこの些細な出来事を重ねて捉えたからだ。

失われた居場所を再現するということに何か意味があるのではないか。

他でもない藝大の喫煙所をモチーフにしたインターネット空間を作ろうという考えに至ったのはこのような経緯である。

現実の喫煙所は形こそあれ、意味上の場所は消失してしまった。

だからこそ誰もがアクセスできる開かれた電子上の喫煙所を再現したい。

 

https://smokingcyberspace.herokuapp.com/

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喫煙電気空間 smokingcyberspace.herokuapp.com


 

そうして出来上がったのがこの作品だ。

名前を入力してログインすると、藝大生であれば見慣れた喫煙所のゲーム空間が待っている。

名前が未設定だとanonymousになったりなど、2ちゃんねるを参考にしてはいるが、同じ時に他の人がいなければ、発したメッセージが誰かに届くことはない。

他者の痕跡がわかるのは、ラジカセに入力されたYouTubeのミュージックだけだ。

まだまだコンテンツ力に乏しく閑古鳥が鳴いているが、それは管理人の手腕に掛かっているのである。

キャラやフィールドや追加機能(ゲーム内ゲームとか面白そうだなと)はこれから少しずつ作っていく。この場所がオリジンだ。

簡単なアプリすら作ったことがない人間が、複数の未経験言語とサーバーの知識を付けながら短期間でよく作ったと自分を褒めたい。

それから、この作品を作る前にゲームメディアを用いたパフォーマンスを行ったのでそれとの関連も述べたい。

 

 

 

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Unityを用いてカメラの映像をリアルタイムでゲーム内に送り込んでいる。

 

プレイヤーとNPCが、友達とチャットボットが、人間とディープフェイクがあべこべになってもそれに気づくことができないパラダイムを迎えている。

これはZoom社のWeb会議アプリを通じて自己紹介を行った際のパフォーマンスだ。

筐体の外にキャラクターがいて、それを筐体の中の私が操っているという図である。

技術的にはどうということもないが、今だからこそ本質が良く見える。

パンデミックで私達の肉体が散り散りになりネットを通じてしか他者と触れ合えない今、私達の肉体はゲームの中のキャラクター達と同じレベルの存在だということを示している。

方や失われた現実の模倣、方や現実の懐疑。

この二つの作品は、現実のネット化とネットの現実化という対になっている。

ネットは現実の代替ではなく、無秩序の海である。

 

 

 

 

ゲームは、ディスプレイとコントローラでゲーム内の世界を冒険することができる。

スーパーマリオがそうであるように、子供でも大人でも言語が違う人でも、説明するまでもなくゲーム内のキャラクターを意のままに操ることができる。

ソケットのように”目と皮膚”から伸びたインターフェースがゲーム内の肉体に接続する。

脳が肉体に接続するのと同じように、電気信号を遠隔の肉体にネットする。

恐らく意識が接続するべき肉体が必要なのだと思う。

ネットが地球を覆ってから人々の”目と皮膚”はソケットのように線状に延長している。

ネットとディスプレイを通して”皮膚を失った目”が、ウェブサイト、SNS、ビデオストリームに供給される”目を失った皮膚”を覗き見する。

もはや目は肉体を失ってネットと結合してしまったように感じられる。

そのことを憂うことはできるが、テクノロジーの進歩を止めることはできないだろう。

”目と皮膚”の乖離が避けられないものであるならば、延びた目の先にもう一つの肉体を作れば私達の孤独感は満たされるのだろうか。